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Kei-Type462010-01-29

今日もダン・シモンズ「ヘリックスの孤児」の話。
表題作については昨日の通りで、今日読んだのは「アブの月、九日」と「ケリー・ダールを探して」の2編。
「アブ〜」読んで初めて著者がユダヤアメリカ人だと知り申した。
で、この話はユダヤ迫害の話?なわけなのだが、どうも身近な問題としてピンとこない。
やっぱり日本人には文字通り感情レベルで「共感」しにくい話だからだろうか?まずユダヤ迫害の歴史的背景もよく知らんというのもそれに拍車をかけていると思うんだ。

そこでちょっと逆の立場になって考えてみた。
日本は「世界で唯一の被爆国」であり、そこから世界中に対して「核の脅威」を発信し続けているわけだけど、それだって結局日本人の身の上に起こった事実であったからこその反応なわけで、でも太平洋をはさんで向こう側に位置する国の人々なんて、文字通り「対岸の火事」な完全に他人事だという認識なんだろうね。

そんな上記の理由から、言えることは、、、
物語上何が起こっているのか、そういった表現されたものについてはわかった。
だが、ユダヤの共通認識に基づいている「オチ」の意味は全然わからんかった。

そんな感じでゴザイマス。

「ケリー・ダール」は割とスムースに物語世界に入れましたよ。
傷ついたふたつの魂の救済って大変なんだねー、というお話。
ここでもひとつの「何故」を。
いろいろなバリエーションはあるけど、割と「お父さん(もしくはそれに類する立場のヒト」はこの手の物語には必須要素だよね。
あれ、どうしてなんだろか?